ご挨拶
木村伊左衛門により慶長年間(1600年頃)、江戸に始まり、三代目伊平次の代に若山(紀伊・内海村)へ移り、同13年、徳川幕府が出来てまだ間もない頃、諸大名の参勤交代のため賑やかで活気があった薩摩原(現在の港区三田)に、主に紀州(和歌山県)産の品(蝋燭・棕梠・紋羽等)を扱う店を開きました。赤穂浪士が本懐を遂げて泉岳寺へ引き揚げる際に店の前を通り、びっくりして大戸を閉めたと言い伝えられています。
その後100年程経て、日本橋本材木町(現在の日本橋1丁目)に移りましたが、この辺りは大問屋の集合地で日本橋を中心に大店軒を並べ江戸の華を誇ったものでした。現在でも銀行・郵便・電灯等の発祥の地として数々の記念碑が存在しております。 木村商店は漆器類を主に扱い、その商標「にびき」の名は諸国に有名でありました。当時は楓川に沿って数棟の蔵が並び、荷物は川から船で運ばれていました。通りを挟んで店があり、朝から荷造りに多忙を極めたものでした。この川は昭和40年に埋め立てられて首都高速1号線となっています。
木村家では長男は国許に残り次男以下は江戸に出るのが家風になっていましたが、商売は一切支配人任せでした。松本仁助氏はその中でも最も忠実に主家の為に骨身を粉にして働いた人で、紀州内海の里にある木村家の同居庵に「忠孝仁助の碑」が建てられ、村人に敬慕されています。明治時代となり本材河岸に製作所を設け、各種木材を自家にて挽き、漆器類のほかに指物類の販売も始めたので販路が更に広がりました。 |